つみびと:山田詠美著のレビューです。
感想・あらすじ つみびとは誰?
凶悪な事件が起こるたび、その加害者の過去を掘り起こし、どうしてこんなことをしたのか?どこでどう道を誤ったのか?人間関係は?家族は?仕事は?と、人はあれこれ追及したくなる。どうしても探らずにはいられない。
恐らく我々は、何かのきっかけや原因があれば少しは救われるとでも思いたいのか、とにかく理由なき犯行であることは何よりも怖ろしいと感じるからなのだろう。
凶悪犯なニュースを見ていて「なんでだろう」が徐々に明かされていくにつけ、怒り、やるせなさ、悲しみ等々の感情が沸き上がる。しかし、テレビ画面からちょっと目を離すと自分の日常がそこにある。テレビから流れてくる情報と食事をしている自分。その隔たりはかなりある。
しかし「本」は違う。完全に私と登場人物たちだけの空間に入り込むだけに、その重い内容を自分の中に入れ込んでいくことが、こんなにもしんどいことかと思い知らされる。誰かのコメントや情報を介さず、ただひたすら加害者とその関係者の過去を辿る時間は、とても息苦しいものだと実感するのだ。
本書は大阪で起きた「二児置き去り事件」を下敷きにして描いたもの。
灼熱の夏、23歳の蓮音は、幼な子二人をマンションに置き去りにした。
蓮音の母にもまた蓮音たちを残し、家を出て行ってしまったという過去がある。この事件知り「娘がこうなったのは自分にも責任がある」と考え、自分を責める。しかし、この親子の背景を知ってゆくと、誰が一番の「つみびと」であるのだろうと、これまで躍起になって探していた自分が、何だか陳腐なことをしているような気持ちになった。
もちろん酷い事件だし、現に子供が登場する場面は掻きむしられるような気持ちにさせられる。母親に見捨てられないよう健気にふるまう姿がなんとも痛ましい。痛ましすぎるのだ。
けれども誰のせいかと考えると堂々巡り、答えに辿り着かない。
誰のせいでもないけど、誰のせいでもある。もちろん、子供たちのせいではありませんが。
と山田氏は言う。
あぁ、そうなのです!自分の中でぐるぐる回り続けていた部分はまさにこれ。それぞれが背負ってきたものを振り返るとここに行き着くのだ。
冒頭の話に戻るが、テレビやネットからの情報を頼りにしていくと「つみびと」は加害者の母親でしかない。しかし、もし事件の裏側に、この小説のようなものが潜んでいるとするならば、やはり事件の真相を知るには浅すぎる。食事をしながら事件の真相を知ろうとしていた時の自分と、本の中に居た時の自分は明らかに違う。
....と考えると、筆者の山田さんはさらに深い部分までこの事件の人々の気持ちと向き合って来たのだな、ということが解る。
加害者である蓮音が一番の「つみびと」であるにも関わらず、そうとは言い切れないものが残る。
罪を犯した者を映し出す鏡に映ったのは蓮音の姿だろうか?
いや、もしかしたら彼女の母親であり、知らない誰かであり、そして私たちであるかもしれない。「つみびと」━━あえて「罪人」と漢字表記しなかったことがなんだかとても意味深長に思えてならない。
最初は視点が変わる構成がなかなか馴染めなかったのですが、中盤から物凄くエンジンがかかって行きました。久しぶりのエイミーの長編でした。長年漏れなく読んで来たけど、色褪せることなく言葉の奥行きの深さに、改めてズンズン響いて来る凄味があった。ゆっくりでもいいのでまた長編をお待ちしています。
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