FUTON:中島京子著のレビューです。
中島京子が「蒲団」を打ち直おす!
本書は田山花袋の「蒲団」を本歌取りした小説です。この本を読む前に予習として本家の「蒲団」も読んでみました。しかし、田山の「蒲団」を読まなくても、登場人物であるアメリカ人の日本文学研究科・テイブ・マッコーリー教授が書く「蒲団の打ち直し」
という話が小説の流れの中に組み込まれているので、本家の「蒲団」がどんな小説であったのか解るようになっています。が、やはり本家を読むと違いがわかり面白さは倍増です。
タイトルの「蒲団の打ち直し」は「蒲団の書き直し」じゃなく「打ち直し」にするあたりのユーモラスに中島さんのセンスを感じます。
田山作品と大きく異なるのは、田山作品でことあるごとに、夫にバカにされていた妻の視点に立って書かれている点です。
田山作品を読んでいる時、このちょっと呆れてしまう夫のことを、妻は本当のところどう思っていたのか?「お前にはわからんだろう」と言われ続けていた彼女の心境は同性としてもとても興味のあるところでしたが、そのあたりが非常に解りやすく描かれているのも本書の特長です。
ところで、例の「顔を埋めて泣いたあの蒲団」はあれからどうなったのか?この作品の中であの蒲団のその後が描かれているところがまた意表を突かれて興味深いところです。
「なるほど、そう来たかぁ~~」と、かなり印象深いシーンで締めくくる。こちらも奥さんに注目です。
と、本書の面白さはこれだけではない。このデイブ本人は日系の学生「エミ」に恋をして、エミを追って日本に来てしまったり、エミの曾祖父、ウメキチの戦争時の
女性関係の話や、ウメキチを介護している画家のイズミの話など、3つの話が平行して進んで行く。
現代の話と100年前の話が、様々な人々を通して蘇って行き、ひとつの世界を形成していく感じに不思議な面白さを感じます。読後はやはりスゴイ小説だと思った。
「解説」で斉藤美奈子氏も言っているが、100年後にあらわれたこの小説を田山花袋はどう感じるだろうか?
余談ですが、私は田山花袋の「蒲団」も結構好きです。蒲団に顔をうずめるかどうかは別として、若い女性にのぼせ上がっている中年男性、結構今も多いですよね。自分はこんなじゃない…なんて人に限ってねぇ。
そんな男性たち、のぼせている時と、終わった時のあの落差の激しさと言ったら!不思議なもので、男性でも恋をしている人はやっぱりどこか輝きを放っていて「おお!いつもと違う」という特別に光るオーラを振りまいている。
しかし、恋が終わった時は、まるでシンデレラタイムが終わったかのように普通のおじさんに戻っていく。……なんてシーンをあちこちで私、結構リアルに見てきました(笑)
丁度、時雄くらいの年代の男性は多かれ少なかれ通る道ですよね。きっと…。そして、それを全てお見通しの妻の存在。時代は変わってもこういう話は世の中から消えませんよね。微妙な男性心を残す意味でも田山先生、頑張ってこの作品を世に残したのでしょうね。
さてさて、最後に本書タイトルは「フートン」と読むのが正しいそうです。





