山の上ホテル:常盤新平著のレビューです。
「特別なホテル」はたくさんの物語を経て作られる
ホテルという場所は色々なエピソードが生まれるところであるわけだが、とりわけ歴史のあるホテルとなるとその数も半端なく、感動的な話を聞くことが多い。
山の上ホテルは東京の老舗ホテルの一つで、東京のお茶ノ水、駿河台の高台に建つ。ホテルと言っても大型ではなく、こじんまりしたホテルで、多くの作家たちに愛され、多くの名作がこの場所から生まれた。
前半は山の上ホテルに宿泊していた作家たちの思い出話と共に、このホテルにおける従業員たちの「おいたち」のようなものが綴られている。このホテルを支え続けたメインメンバーであった従業員たちの若き日の様子が、その後にどう繋がっていくかが分かり、後半に行くほどその日々の努力にあらためて感銘を受けることになる。彼らが目指す「特別なホテル」とは....。
後半は何といってもホテルの創業者である吉田氏の魅力に釘付けだ。従業員が「ずっと付いていきたい」と思ってしまうほど魅力的な人物ではあるが、結構ワンマンであるし、怖そうな人という印象がはじめはあった。
しかし「なるほどなぁ」という場面にいくつも出会い納得。多くを語らずも、その懐の深さといい、勘の良さや、従業員へ向ける観察眼、ホテルに対するこだわりや熱い想い等々、読み込むほどジワジワと滲み出して来る。
濃紺の服地を一巻き買いもとめて、三十着かを仕立て屋につくらせた。スーツは同じ色、同じデザインで、シャツもネクタイも靴も靴下も同じだった。四季を通じてそれで通した。それが彼のひそかなダンディズムであり、たしかに知る人ぞ知るダンディだった。
着るものひとつとっても、徹底的なこだわりがあったということが、このエピソードから窺える。また、相当なグルメだったようです。
吉田氏の写真は少なめですが、誕生祝賀会で従業員とともに写した写真がとても印象的だ。心から楽しそうに笑う吉田氏。そのまわりで控えめに笑う従業員。どちらも本当に幸せそうで、見ているこちらまで嬉しくなってしまう。
綺麗な建物、高価な調度品、整った施設があったとしても、必ずしも良いホテルとは言い切れない。「はっきりこれ!と言えないけど、なんか居心地がいい。」と言われている山の上ホテル。これら目に見えない雰囲気はどんなにお金をかけても作れない。時間をかけて、ひとつひとつ積み上げて来た従業員たちの努力がこうした雰囲気を作っていくものなんだと強く感じました。
そうそう、偉大なる創業者の影には、これまたすご腕の奥様の存在を忘れてはなりません。奥様のサポートなしでは、ここまで従業員たちは育たなかっただろう。
さて、現在は吉田氏のお孫さんが後継者になりホテルは存続しています。「山の上ホテル」は一度行ってみたいと思っていたホテル。中に入ったこともない。本書によると、特に天ぷらが美味しいとのこと。機会があったら、是非食べてみたいし、泊まって、朝食も食べてみたい。
そうだそうだ、そういえば、柚木麻子さんの「私にふさわしいホテル」は、ここが舞台だったことを思い出しました。こちらも合わせて読むと楽しいかも!