海うそ:梨木香歩著のレビューです。
感想: ひとこま、ひとこま、圧倒的な自然描写の美しさに包まれて
「海うそ」ってなんだろう?梨木さんが作った言葉なのか?それとも何か深い意味をもった言葉のか?
時代は昭和のはじめ。大学の人文地理学者・秋野が亡くなった教授の残した資料を手に、南九州のある島にやって来る。かつて修験道の霊山があったその島には独特な文化の痕跡が残っている。
謎の地図とともに過去の歴史に思いを馳せながら島内を秋野と歩いてゆくと・・・豊かな自然に包まれ、森の中で出会う動物たちと目が合ったり、聞き慣れない植物や、特徴的な建物など、次々私たちを楽しませてくれる。まるで近くで見ているかのような感覚にさせられる美しい文体に文字を追う目も忙しくなる。土の匂い、主人公が歩く足音すら感じられる世界が広がっているのだ。
主人公・秋野は許嫁、両親が立て続けに亡くなったという大きな喪失感の中にいる。過去の彼の日常が話の中に織り込まれ、秋野の歩んできた道のりと現在が少しずつ明かされてゆく。
話が大きく変わるのが最終章。
50年後、彼は再びこの島を訪れます。島はリゾート地として新しい姿に生まれ変わろうとしている。なんの因果か、その開発に彼の息子が関わっているのだ。息子に案内され訪れた島の数々の場所には、知っている人もなく、すっかり様変わり。あっけなく失われた風景を見ている年老いた秋野の気持ちを思うとかなり切なくなるのが・・・・。
しかし時間の陰影を重ね、この島は秋野にとって新しく存在し始める。それは秋野が「海うそ」を見たことにより、昔、見えなかったものを確かに見たから・・・かもしれません。秋野がこの島にかきたてられるように再び訪れたのも、きっと何かに導かれ、深い意味があったのでしょう。
この本の中にいる時間は、時代も国も不思議とわからなくなるような世界であった。それもこれも圧倒的な自然描写の美しさからなのか、ひたすら凄いなぁ・・・と、ひれ伏したくなりました。
また、今回地理学者のフィールドワークの実際を知ることが出来たのも大きい。
月の光が輝く晩に、ひとの好い爺さんと婆さんが、
たらい舟で温泉に行く。
こんなのどかなシーンで始まる冒頭部、あっという間に心を掴まれました。
数ある印象的なシーンのなかで、一番印象的で読後しばらく心のなかに住み続けていました。
これから読む方、是非、ひとこま、ひとこま、大事に目に焼きつけながら読んでみてください。最終章がより一層深いものになると思います。
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