森瑤子の帽子:島﨑今日子著のレビューです。
☞読書ポイント
「森瑤子」を振り返りながら見えてきたもの
「森瑤子」という名前とともに「ある時代」を思い出すのは、リアルタイムで森瑤子の小説を読んでいた人々じゃないだろうか。わたしもその一人であったわけで、彼女が出す小説は漏れなく読んでいた。友人と「あーだ、こーだ」と感想を話し合ったのもあの時代。
自分たちにとっての「大人の女性」のイメージは、まさに森瑤子さんだった....と今でも思う。しかし、本書を読んで思うのは、あの時の自分に彼女の小説はちょっと早すぎたのだろなぁと。もちろん、当時は理解したつもりになってあれこれ友達と作品について話していたけど、人としてまだまだ自分は未熟な年だったし、こうして振り返ってみると、とても読みこなしたとは言えない。今、この本を読んで、改めて「そういうことだったのか」と、知ることがあまりにもたくさんあり、んー何というか、「森瑤子を復習する」みたいな読書になりました。
乱読しすぎて、彼女の小説の内容をしっかり覚えているものが正直ない。けれども、「枯渇」「飢え」「埋まらない溝」みたいな小説の空気感はしっかり思い出せる。
華やかな世界に生きる女性で、ファッションも暮らしも、交流している人々もとにかくゴージャス。けれどもご主人はとても厳しいイギリス人。夫婦関係は少々冷え切ったイメージが強い。
そして、カナダの島を買ったり、与論島に家を建てたりと、派手な生活ぶりもバブル期と相まって、どんどんエスカレートしていく感じがした。与論島の美しさは森さんから教えられ、当時、自分も本当に与論島へ行ってしまったというミーハーぶり。浮かれていましたねぇ(笑)....どんどん話が横にそれていきますが、この本を読んでいると、森さんのことはもちろんですが、自分の当時のことまで引きずり出されてしまいます。
で、本題ですが、本書は当時の森瑤子のことを様々な人の証言により振り返っていきます。作家の山田詠美さんから始まり、森さんの3人の娘、夫、仕事関係者、友人、過去の恋人等々、様々な視点から語られる。
いろんな姿を見ることが出来るわけだけど、彼女の中には確実に「森瑤子」と「伊藤雅代」のふたりの女性が混在している。そして「陰」と「陽」が結構はっきりしているというか....。私の知っている森さんさんは、まさに作家として派手な世界に生きる姿でしたが、そうでない部分も本当にたくさんあって、逆に今となっては、そういう部分もあって良かったと、なんでか分からないけれど思えた。
夫のブラッキン氏との関係もなかなかハードな面もあったけれども、やはり夫婦にしか解らない絆も本書から感じるものあった。また、3姉妹の娘たちのそれぞれの母親に対する気持ちが印象的であった。特に森氏が亡くなってから家族について執筆した次女の現在の気持ちが印象的でした。
それぞれが、それぞれの場所から、妻であり母であった森さんのことを今でも強く想っていることがなによりです。やはり家族の話は強いものを感じました。
1993年に森さんは亡くなった。「もう彼女の作品を読めなくなるのか...」と、当時、ショックと同時にものすごく残念で残念でならなかったことを思い出す。37歳でデビューして52歳で亡くなった。作家生活はたった15年ですものね。それでも、これだけ多くの人々に読まれ、話題を呼んだという功績は大きい。
と言うことで、折をみてもう一度、森作品を読み直したいと思った。あれからわたしも少しは大人になり、当時よりもっと森さんの心の裡が見える気がします。とにかく本当の意味で「読み時」は「今でしょ!」と気づいたのであります。この本に出会わなければ、こんなことも思わなかっただろうな。
当時、森さんの読者だった方には特におすすめの一冊です。自分を振り返る機会にもなるかも!?
【つなぐ本】本は本をつれて来る
ドラマにもなったニッカウヰスキー創設者の竹鶴と妻のリタの話。