人形の旅立ち:長谷川摂子著のレビューです。
感想・あらすじ
あの頃は今よりずっと異界との距離も近く、不思議な事象も日常的にあったのかも
例えば校庭でボール遊びをしていて、そのボールが校庭のすみっこの薄暗い湿った場所に転がり込む。そのボールを追いかけていくと、友達の声はどんどん遠ざかり、ひっそりとした場所に迷い込んだ感覚になる。苔の匂いが鼻をかすめ夏なのにそこだけひんやりしていて怖いような・・・瞬時に広がるあの感覚。
例えば通学途中に誰かが落としていったハンカチや、昔はよくあった動物の死骸。翌日その道をまた通る前に感じる「まだあるかな?」「まだいるかな?」という、ちょっとした緊張感。死骸なんて本当は見たくないけれども、日に日に形を変えていく死骸に目を向けるときの変な好奇心。
本書はそんな遠い遠い昔の感覚をキュツキュルと巻き戻され、眠っていた感覚や気持ちが起き上がる場面がたくさんありました。
表題の「人形の旅立ち」は一番最初に登場する作品で、すぐに物語の時代にトリップできる世界が広がっている。
のんびりした田舎町。雪が多いこの町に春がやって来ると少女たちが外へ飛び出し、まりつき遊びを始める。
神社の境内で遊ぶ主人公の女の子は神社の荒神さんと呼ばれる巨木の根方に捨てられている古い雛人形たちが気になっている。その一角が作る不思議な雰囲気は、子供には近寄りがたい場所。
気なるけど近づけない、そんな小さな葛藤を抱きつつ、常に横目にあった何か・・・。
それが古い雛人形ですものね。大人だって気になります。
やがて、このお雛様は消えてしまうのです。当然、何処へ行ったのか気になる女の子はおばあさんに訊ねます。おばあちゃんから語られる話、そして再び彼女の前に現れたお雛様たち。どれも不思議で幻想的なものなのですが、何故かそれが「本当にそうなのだろう」と思わされる。
たぶん、あの頃は今よりずっと異界との距離も近く、不思議な事象も日常的なこととして根付いていたのだろう。人々もそれを自然に受け入れている。おばあちゃんの冷静な語り口、それを疑いもせず受け入れる子供。なんだかいいなとしみじみ思う。
大人も子供も四角い画面に釘付けになっている時間が長くなった昨今。携帯もパソコンもなかった時代は自分の目でいろんなものをのんびり見ていたように思う。だからこそ見えるもの、感じられるものがたくさんあったのかもしれない。
沸々とあのころの懐かしい日差しや、匂いや、小さな怖れが思い起こされ、気持ち的には「小学生のわたし」がこの本を読んでいたように思えます。予想通りお気に入りの一冊になりました。