うずまきぐ~るぐる 

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【レビュー】エリザベスの友達:村田喜代子

エリザベスの友達:村田喜代子著のレビューです。

 

一番輝いていた時に戻っているのなら、それはそれで案外幸せなことかもしれない

 

認知症になった人、その家族の小説をこれまで何冊か読んでいる。その都度色々と考えさせられるわけだが、決まって「自分がなってしまったら」「家族がなってしまったら」という不安が読後にいつもつき纏う。


家族や介護をする人たちにかかる負担の大きさに戸惑い、年を取ることの残酷さをまざまざと感じさせられる。誰も悪くないし、誰も望んでいないのにどうしてどうして神様は人生のラストスパートにこんなにも辛い道を用意するのだろうと叫びたくなる。



しかし、今回はちょっと違う。
村田さんの小説を読んでみて感じたのは「認知症になることは果たして本人にとって不幸なことなのか?」ということ。

 

 

 


初音は老人ホームに入居している97歳の認知症高齢者。彼女にはふたりの娘がいて、初音に頻繁に会いに来ます。日がな一日、うつらうつらした状態で過ごす老人たちの姿。目の前にいる娘のこともすでに認識できない。そんな日常描写からすーっと過去の時代へと話が飛ぶ。それは我々が毎晩夢のなかに入って行くときのような心地よさがある。



初音さんの行く場所は、戦前の天津の日本。初音さんはそこで優雅な新婚生活を送っていた。ドレスを纏い、友達とお茶をしたり買い物をしたり。初音さんの人生の中で一番輝いていた時代でもあり、引き揚げという大きな波の中にいた時代でもあった。

 


━━人生の後半生の方が記憶に残るはずなのに時間の近いその部分がごっそり抜け落ちる。長い一本道を振り返って、近い時間から順にどんどん景色が消えていく理不尽.....。遠い記憶の方がはっきり残って見える奇妙。━━━



本書によると認知症のステージが上がると記憶している時間が退行するそうだ。
初音さんは毎日、旅をするように自分が一番輝いていた時代に出かけてゆく。それを優しく見守る娘と介護スタッフの人々。ユーモアを織り交ぜながらつづられる話からは何とも言えない温かい時間が流れている。



これまで認知症ということに怖さを感じていた。もちろん今でも怖いことには変わりがない。しかし、例えば親が認知症になり、私のことを誰だか判らなくなってしまうことがあったとしても、本書に出てきた親子関係のように過ごせたらベストだなぁと感じた。


そして認知症を患った本人が毎日どんなことを感じ生きているのか。もし初音さんのように過去の輝きの中に戻っているのなら、それはそれで案外幸せなことではないかと思うし、救われる気持ちになる。

 


本書は認知症が決して不幸ではないということをうっすら教えてくれている。正解はない話ではありますが、認知症を考える上で、ひとつの見方が変わるとこんな風に景色が変わるものかという新鮮な空気が自分の中に流れ込んできたような気分です。

 


最後にもう一つ。初音さんと同じホームに入居している牛枝さんという女性の話も出てくるのですが、わたしはこの牛枝さんの終焉の話がとても好き。泣き笑いしたくなるいい話でした。