生きるとか死ぬとか父親とか:ジェーン・スー著のレビューです。
親に対する複雑な気持ちと折り合いをつけながら生きていく娘の心境が伝わって来る。
おっと、これはいつものスーさんと違うな...と数ページ読んだところで感じた。
そりゃそうだよね。ごくごく身近な肉親について書くんだもの。いろんな意味で戸惑いや照れがあったりしたのだろうなぁということが窺える。
父と娘。しかも、高齢者の父と中年の娘。
向田邦子さんあたりの小説にありそうだけれども、スーさんとお父さんの距離感はそれとは違うもう少し濃度の高いものを感じる。
というのも、スーさんのお母さんは20年くらい前に亡くなっている。スーさんは未婚で一人っ子。新たな家族があるわけでもない。だから、スーさん親子の間に誰かが介在するようなこともなく、互いが唯一の家族、二人三脚で親子の道を歩んでいる。
一緒に住んでいた時期もあったそうだが、今は別々に暮らしている。そこにはいろいろな事情があるわけだが、現在お母さんのお墓参りは必ず二人で行くというつかず離れずの距離。この距離感がお二人の心の平安を保つためにはちょうど良いようだ。
とは言え、父も娘も常に視界の中にお互いを見ている感じがよく解る。
思いやるというより、気にかけていると言った感じだ。
親子ならではの喧嘩も絶えないしイライラもする。それでも墓参りを済ませ、美味しいものを食べに行き、ポツリポツリと互いの話に耳を傾ける親子の風景はずっと続いて欲しいと思わされる。熟成した親子ならではの空気がそこには流れている。
スーさんのお父さんは、結構飛んでます(笑)
過去の商売トラブル、株での損失等々....やらかしています。
そして現在、娘に平気でお金の援助を求めに来る。一家の主がこうだと大変であろうということは想像がつくが、このお父さん、愛嬌があって憎めないタイプでもあるのです。だから、年を取っても女性にモテモテだったりと話題が尽きない。
住むところのお金の援助を求められたスーさん。
「だったら、お父さんのことを書くよ!」と宣言し、この本を執筆した。というと、お金のためかと思ってしまうけれども、本書を読んでいるとそれだけではないということが分かる。
過去のことを含めあれこれと聞くこともなく、お母さんが逝ってしまったという経験を持つスーさん。残された物から母の気持ちを想像する虚しさが伝わって来るシーンが胸に迫る。
だからこそ、お父さんからは生きているうちに色々な話を聞いておきたい。そしてそれを文章にして残しておきたいと思ったのでしょう。戦争の話や母親との出会いなどもそのひとつ。
誇張もなく、ひたすら淡々とした語り口調ではあるが、後半にいくほどじんわりとした感情が零れ落ちるような内容だった。
実話でありながらも、どこか小説のような趣もあり、エッセイとはまたひと味違うスーさんの文才を見せられたとも言えます。
時に冷めた目で、時に温かい目で。どんどん年を取る父の姿に目を背けたくなる瞬間だってある。そんな複雑な気持ちとの折り合いをつけながら生きていく娘の心境がよく伝わって来た。親を見る目は日々変化しながらも寄り添って行こうという心意気が感じられる1冊でした。
親の背中が小さく見え始めたと感じた人は読むべし。今しかできないことが見えてくるはずです。