東京を生きる: 雨宮まみ著のレビューです。
感想
夜の匂いがする。孤独が充満している。
エッセイを読むと、他人が日常見ているものや、感じていることを知ることができ、自分と違った視点が発見できて楽しい。まれにそれだけではないものを感じる人が出てくる。
雨宮まみさんは初めて読むにも関わらず、私にとってそんな書き手の一人となった。
小さなテーマを一つ読み終える。パズルのピースがひとつずつはまっていくような感覚を覚える。そして肌に徐々に馴染んでいく。もう一字たりとも雑に読みたくないとも思えて来るのだった。
「美しさ」では、深夜のクラブ・ageHaでのひとコマが描かれる。
ほんものの美にひとが打たれる瞬間を、見たことがある。
大きなハコの中で、こんな些細な瞬間さえも見逃さない彼女の観察眼にまず舌を巻いた。
続いて雨の日の夜の「タクシー」の描写も好きだ。光の滲む景色と自分の欲望。湿った空気と渇いた心のコントラスト。深い時間帯にタクシーに乗っていた者にしか見られない東京の風景は孤独と自由がそこにある。
「静寂」ではあの日確かに感じた感覚が蘇る。
大きく感情が動く時、頭の中がしんと静まり返る瞬間がある。
物凄く解る。人を好きになる時や、
大事なことを言おうとする時、聞いた時。
周りの音が遠ざかって行く感じ。
こういうことって、瞬間的なことなので忘れがちというか、あまり気に留めてもいなかったけれども、確かにそういう瞬間がある。そういう些細な大事な瞬間を思い起してれる雨宮さん。読むごとに自分の中で眠っていたものがむっくり起き上がりそんな感情たちと懐かしい再会を果たした気分になる。
彼女の書く文章からにじみ出る雰囲気は歌で言うと藤圭子。なんて思っていたら藤圭子が文章の中に出て来た。
六本木の話で森瑤子さんの名前が出て来た時もドキッとした。私の中で六本木と言えば思い出す人の一人だったから。
彼女はいつも東京と言う街で何かを満たそうとしていた。それは愛情であったり物質的なものであったり。しかしながら、
年々寂しさの溝は深まってゆき、それはもう底の見えない
狭くて深い谷のようになっている。
自分の孤独がもう誰と恋愛しても埋められないほど深くなっている
高い服や靴を買ってはその溝に放り込んでいるだけではないかと言う彼女から、静かな悲鳴なようなものが伝わって来てヒリヒリする。
孤独が充満している。
彼女がもし今も生きていれば、これらのことは人生のひとこまだと言うことも出来ただろうし、今後の彼女の変化を見ることもできた。
彼女はもうこの世に居ない。溝は埋まらないまま永遠に時間が止まってしまったのだ。だから余計に「孤独」の言葉が一重にも二重にも重みを帯びてくる。
高級な服を買った帰りに立ち食い蕎麦を食べる彼女。そんな陳腐なことが経験できるのもこの街ならではかもしれない。彼女は確かにそこを歩き、そこに存在していた。そして様々なことをキャッチし、言葉にして表現してきた。
上京し、「東京って人が多くて疲れる」っていう人がいる。東京って憧れの場所であることも多いけど、その反面否定的に言われることも多い。東京っ子は言われ馴れているから無駄に反論はしないけど、内心は結構イラっとしていることも多いと思う(笑)
雨宮さんは東京を褒めるでも貶すでもなく、そこに身を置いている自分を内省している。
だから心地よいのかもしれない。
もっと読んでいたいのに、もう読めない彼女の文章。
もっと触れていたいのに、もう触れられない彼女の感性。
はじめて会った人なのに、もう会えないというもどかしさ。せめて彼女の書いたものは全て読んで彼女の中にあるものに触れて行こうと思う。





