愛ふたたび:渡辺淳一著のレビューです。
☞読書ポイント
哀愁漂う複雑な男心、そして希望
<本が好き!の献本書評です>
「気楽堂」こと国分隆一郎、73歳。整形外科医。妻に先立たれ気力が落ちたものの、これからすべて一人でやっていかなければならないと第二の人生を医院開業という形で再スタート。かなり元気な高齢者。しかも、恋人が二人もいる。
わぁーい、やっぱり渡辺淳一さん、草食系という言葉なんてどこまでも無縁のご様子。幾つになっても女性に囲まれているなぁ…。と、小説の主人公=渡辺氏という図式が最後まで消せず、「渡辺淳一」をそのまんま主人公に当てはめて読んでしまいました。
というのも、この本を頂く少し前に、某番組で「渡辺淳一氏79歳が、性的不能を自ら明かした」という話を聞いた。今回の小説はそのことがテーマということで、一体どんな様子なのか、高齢化に伴いシルバー世代の「性」について何かと話題になっていることだしと、好奇心半分読んでみたいと思ったわけだが…。
第一章「おとずれ」という意味深なタイトルから始まる。なんの「おとずれ」かというと、前述した通り「性的に不能になる」その時のことをここでは言う。
1ページ目書き出しが「えっ…」である。ことに及ぼうとするが思うように反応しない戸惑いや驚きの様子、心理状態が実にリアルに描かれています。体調のせいとか、相手を
変えれば…などあれこれ思い悩むのだが、最終的にその「おとずれ」を認めざるを得なくなる。
しかし、渡辺氏…ではなくこの話の主人公「気楽堂」は、貪欲に「性」を追究してゆく。様々なデータや人体の構造など、渡辺氏の得意とするところというか、マニアっぽい部分が露出されている。個人的にはそのような部分は他でも読めそうなので、もっと小説としての展開を期待していたのですが、ん~、今一歩。
後半は、亡き妻の面影をしのばせる患者で40代半ばの女性弁護士と恋人関係になり、不能でも女性を愛せるという自信を取り戻してゆく。そこで、京都のデートシーンなどチラッと入るが、取り立て感動するような場面はない。
最終的には世の男性に希望を…と「回春科」なる診療科目を自分の病院に作るということに繋がっていく。この章を読んで、「なるほど、私も頑張ろう」と思える高齢者やプレ高齢者男性はどのくらいいるのか、私は女性なので推し量ることはできないのですが、感想を聞いてみたいものです。
「なにごともなかったように静まり返っている」
この小説で何度も目にするこの言葉。この言葉だけがなんだかやけに頭に残り、ちょっと切ない気分になりましたが、渡辺氏のように「女性大好き男性」にとっては、そんな時期が訪れてもそれを跳ねのけてしまう別の力が備わっているから、変わらず楽しく女性と関わっていけるんじゃないかな?それも才能だと思うのですけどね。
女性達はあれやこれやと女同士体の不調など気軽に話したりしているけど、男性の場合、このような話は男同士で滅多に話さないというシーンは興味深かった。
男性としての諦め切れない気持ちの行方、戸惑い、そして自信回復への道。これらは個人的なことでなかなか見聞き出来ない部分。そこに踏み込んで行ったという意味で話題性がある作品と言えよう。
激しい恋愛模様を描き続けて来た渡辺氏がついにここまで来たのか…と、読者の一人としてなんだか感慨深いものがそれなりにあった。
【つなぐ本】本は本をつれて来る:カレセン