てれんぱれん:青来有一著のレビューです。
感想・あらすじ 「てれんぱれん」とはどんな意味?
静かに静かに時間をかけて心に沁み込んで来るような話「てれんぱれん」。
ニラ焼き屋のよっちゃんが、戦争体験をした父親の当時の様子を大人になってから振り返ったもの。
主人公・よっちゃんのうちのお店は母親がし切っていて、心臓を患っている父親は働かず、いつもボーっとして過ごしている。
そう、「てれんぱれん」な生活をしているのです。
耳慣れないこの言葉は九州の方言で、「働かずぶらぶらしている怠け者を非難した言葉」という意味があるらしい。
父親はまさに「てれんぱれん」なのけど、だからと言って、家族がお父さんを蔑んだり、殺伐とした雰囲気になったりすることもなく、そこにはそこの日常があり、愛情ある家族が存在しているという安心感をを醸し出す。
父親には長崎で被爆した過去がある。当時の様子が話の中で語られている。
何年経ってもどこまでも深い悲しみと共に過ごすお父さんは、戦争で亡くなった人々の「霊」が見えるのです。
店の裏の石に座り、この霊たちの気配を感じながら過ごしていたお父さんの姿から、戦争というものはこんなにも深い虚無感を残すものだというやり切れない気持ちが胸を締め付ける。
お父さんにたくさんの戦争の話をしてもらった娘。やがてお父さんの背中にくっついている時、娘にも霊が見えるようになる。
父親はときどきそんな霊を供養するような手伝いを頼まれたりするのだが、それはとても心が消耗することなのだそう。
決して消えることのない心の中にある原爆の風景。あの日からずっとこの風景を抱えながら日がな一日石の上でぼーっとしているお父さんの姿がどこまでも心に残る。
そして、この家族を支えていたお母さんのバイタリティそのものが、未来への活力を秘めているようでもあり、頼もしい空気を運んでいた。ニラってパワーの源になる食材ですものね。
あまたある戦争の小説の中で、この話はどこか浮遊感のある読み心地だったけれども、読み終わってみると小説の空気感そのものにじわじわ来るものがあり、忘れ難い話となって心に落ちていた。
青来有一プロフィール
1958年、長崎市生まれ。長崎大学卒業。長崎市在住。95年に「ジェロニモの十字架」で文学界新人賞を受賞した。以降、発表作が次々と芥川賞候補作となり、2001年、5度目の候補となった「聖水」で第124回芥川賞を受賞。ストーリーを編み出す力や精緻な描写力は、多くの選考委員から高い評価を得た(Amazonより)