春琴抄:谷崎潤一郎著のレビューです。
感想・あらすじ 美しい文章から谷崎の本気を見る
(ネタバレ注意です!)
谷崎文学書評も5冊目です。
今回はちょっといつものニヤリ感が出ないほど、美しい文章に惚れ惚れし、する~り、する~りと小説の世界へと誘われた。ある意味拍子抜け、ある意味、めっけものをしたという気分です。
この作品の大きな特徴は、句読点というものがほとんどなく、読者によそ見をさせないという意地悪さがある。息継ぎさえもできないという、酸欠ちっくな文体なのです。
さて、この話を通して浮かぶ単語は、純愛、主従、献身。
と、言いたいところなんだけど、どれもちょっと違う気がする。言葉を探すも、しっくりくる言葉が見つからない。読み終わってもなおこのふたりの結びつきってなんだろう?と、つらつら考えてしまう。
大阪の薬種商・鵙屋の盲目の美少女・春琴。我が儘でプライドが高く、高圧的な態度のため、家族や使用人たちは手を焼いていた。
そんな曲者の世話をすることになった丁稚の佐助。佐助はどんな時も、春琴の手となり足となり。その傍ら、春琴から三味線を習いうようになり、師弟関係を結ぶのだ。
その稽古の様子はまるで女王様!バチはそう使うのかーーー!
稽古という名のサディスティックなシーンに息を呑む。
そんな春琴に悲惨な事件が起こる。弟子の一人に熱湯を顔にかけられるという大惨事。
痛みに堪えながら春琴は佐助に言う。
「わての顔見んとおいて」
その後、佐助も失明する。
自分で自分の目を針で突き刺したのだ。
すごい、なんてことだ。
こうすることによって佐助は春琴と同じ盲目の世界に住み、美しい春琴の姿を永遠に自分の脳裏に刻みつけたのだ。
そこには後悔という文字は微塵もなく、むしろその世界に陶酔している佐助の姿が印象的だ。
その後も春琴が亡くなるまで、いや、亡くなってもずっと佐助は春琴に寄り添い、心から仕えたのだ。
春琴は妊娠もした。明らかに佐助の子であるだろうと思われるのだが、春琴はそれを否定し続ける。その後も子供ができたようだが、生涯一緒に住むことはなかった。
夫婦同然の暮らしのようであったが、実際どうであったのか?
佐助の位置は夫ではなく、弟子、奉公人といったものであった。
後のふたりのお墓の様子が綴られているが、それがこのふたりの関係性、いや、佐助の気持ちの表れなのだろう。
春琴抄は松子さんへの愛を投影した文学
ん~やはり谷崎の作品だなぁ。
凡人が関係性や愛のかたちをあれこれ探ったところであまり意味がない。
ということで、改めて谷崎文学のスゴミを感じた作品であった。今まで愉しいが勝っていたけれど、なんだかおっちゃんの本気を見た気がしてちょっと震える(笑)
さて、書評を書き終えてから知った情報ですが、「春琴抄は、松子への愛を投影した文学」ということらしい。....って言われると、ますます解りにくいのですが(笑)
佐藤春夫氏に宛てた書簡には
『松子への愛が成就しなければ「最後の決心は高野山の師を頼みて出家する」』
とまで書かれていた。
まぁ、どんな愛であれ、おっちゃんの本気は松子さんへの気持ちでもあったわけですね。情熱的~!
各出版社の「春琴抄」